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彼が死んでも同じ。   

Excite <フセイン死刑執行>24年間もの独裁支配の「罪」重く

イラクは彼が死んでも状況は変わらないでしょう。
何の為に裁判をしたのか分かりませんね。
公開裁判でも無いし、一審だけで終了というのも何か?だし、国内法でそう決めているのでしょうが常識的には分かりづらい。
あの国は独裁の方が落ち着くんですかね。
いや、それはおかしいと思いますが、民主国家としての意識が国民に乏しい結果だと思います。
同じ宗教だのに、解釈の違いだけでこんなにもいがみ合う、これだけは理解不可能です。
ましてや、こうやって殺し合う、一体何が問題なんですかね。

イスラム教というのは、そんなものなんですかね。
いや宗教というのは、そんな事無いと信じていますが。

とにかく、どういう人間であっても最後は
合掌。






クーデター、亡命、戦争と激動の中東を生き、アラブの盟主を夢見たフセイン元イラク大統領が30日、69年の人生に終止符を打った。教育・医療を地域最高水準に引き上げた「功績」に一定の評価はあるものの、24年間もの長きにわたってイラクを独裁支配して国民を抑圧し、軍事大国として周辺国を畏怖(いふ)させ続けた「罪」は重い。
 元大統領は37年、イラク北部ティクリート近郊の貧農に生まれた。幼少時から独立心が旺盛で、4歳の時に英軍に対するイラク人の反乱事件が発生した際、反乱軍におじが参加。これを機に外国の影響を徹底的に嫌うようになった。
 アラブ主義に目覚めたのは56年の第2次中東戦争。英仏と戦うナセル・エジプト大統領に感銘し「第2のナセル」を目指すようになる。その後、アラブ統一国家建設を掲げるバース党に入党。59年にはカセム首相の暗殺を謀るが失敗し、エジプトに亡命している。63年のクーデターでカセム首相が殺害された後、68年のクーデターで指導的役割を果たし、69年には革命指導評議会副議長となった。
 権力を掌握したのは79年。バクル大統領の引退を受け大統領に就任すると、国内に約20万人の秘密警察の監視網を張り巡らし徹底した恐怖政治を敷いた。権力周辺をティクリート出身の家族・親類で占める一方、亡命した大統領の娘婿フセイン・カメル中将を96年に殺害、身内でも自分に背く者は容赦なく粛清した。
 軍事大国の指導者として世界を震かんさせたのは80年、イランに侵攻した時だ。88年の停戦までに両国で数十万人の死者を出した。イランやイラク国内のクルド人に化学兵器を使用したことは、元大統領の残忍さを示すものとして注目され、国際的な批判を浴びた。90年8月にはクウェートに侵攻し、91年1月に多国籍軍との湾岸戦争に突入。湾岸危機当時、日本人を含む外国人を人質に取り、ペルシャ湾に原油を流すなど物議を醸す行動も目立った。
 一方で社会保障、教育に力を入れ、医療や教育無料化を実現。90年に国連制裁下に置かれるまでバグダッドはアラブで最も医療水準が高かった。歴史上の英雄を好み、米国に追従しない態度はアラブの民衆に一定の評価を得たが、イラク戦争(03年)で2人の息子を失い、米軍に拘束された時点で「アラブの覇者」の夢はついえた。

by e_jovanni | 2006-12-30 01:00 | 政治

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