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いい顔をしている。   

Excite エキサイト : 芸能ニュース「日本のおばあちゃん」原ひさ子さん死去

名脇役の原ひさ子さんが亡くなられた。96歳ってすごい人だったんですね。
90歳を越えても生涯現役として、おばあちゃん役として活躍しておられた。
歳を経る毎に何とも言えないいい顔をされています。私もこういう顔になりたい。
そうは望むものの私には難しいでしょうね。
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享年96歳、合掌。




----------記事より---------
 「日本のおばあちゃん」として映画、ドラマで親しまれた現役最高齢女優の原ひさ子(はら・ひさこ、本名・石島久=いしじま・ひさ)さんが4日午後9時32分、心不全のため都内の病院で死去した。96歳だった。90歳を超えても現役で活動し、米紙ニューヨーク・タイムズで「日本の最高齢女優」として紹介された。4日夜、自宅で夕食後にテレビを見ながら意識を失い、搬送先の病院で眠るように息を引き取る大往生だった。
いい顔をしている。_d0040314_22514735.jpg 明治、大正、昭和、平成を生きた原さんは、眠るような大往生だった。4日夜、長女一家とともに住む自宅で夕食を食べた後、愛用のソファに座ってテレビを見ていた。午後7時半ごろ、ソファにもたれ掛かるような格好となり、意識が薄れているのに家族が気付き、救急車で荒川区の東京女子医大東医療センターに搬送された。午後9時32分、家族にみとられて息を引き取った。
 関係者によると、原さんは不整脈がある程度で日常生活に支障がなく、毎日散歩するほど元気だったという。11月8日に俳句雑誌で経済学者との対談を行ったのが最後の仕事になった。
 33年に前進座に入団し、新橋演舞場で初舞台を踏んだ。その後、山中貞雄監督「人情紙風船」をはじめ、戦前、戦後を通じて数多くの映画に出演。テレビ放送が始まってからは、40代、50代で、ドラマの母親役やおばあちゃん役に欠かせない貴重な脇役女優となった。「ふぞろいの林檎たち」では定食屋のおばあちゃん、映画「悪魔の手毬唄」(77年)では金田一耕助に事件解決の手掛かりとなる手毬(まり)唄を教えるおばあちゃん役で出演した。
いい顔をしている。_d0040314_2252525.jpg 70歳を過ぎてから、小堺一機のトークバラエティー「いただきます」に出演したのをきっかけにバラエティー番組に出演。即席ラーメンのCMにも登場し、お茶の間の人気者になった。80歳を超えても映画「ワンダフルライフ」などに出演し、現役最長老格の女優として活動した。米紙ニューヨーク・タイムズも「日本最高齢の現役女優」として紹介。昨年撮影され、今年夏公開の「サヨナラCOLOR」(竹中直人監督)が、70年を超える女優人生の最後の映画になった。
 65歳で小唄、70歳で俳句を始め、90歳で「ばばさまの俳句は日記つれづれに」を出版した。誕生日である8月6日に広島に原爆が落とされた。原さんは8月6日を戦争を忘れない日として、家族全員ですいとんを食べる「すいとんの日」を60年間続けた。

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1935.11.01 街の入墨者  日活京都  ... 友吉の女房
1937.08.25 人情紙風船  P.C.L.  ... 源公の女房おてつ
1938.03.01 阿部一族  東宝映画東京=前進座  ... 一太夫の妻
1938.06.01 逢魔の辻 江戸の巻  東宝映画東京=前進座  ... 三沢家女中
1946.10.29 わが青春に悔なし  東宝  ... 糸川の母
1953.01.09 ひめゆりの塔  東映東京  ... 父兄
1977.04.02 悪魔の手毬唄  東宝映画  ... 由良五百子
1995.09.29 静かな生活  伊丹プロ  ... お祖母ちゃん

いい顔をしている。_d0040314_23101520.jpg明治生まれで、前進座に入り「山中貞雄監督」の映画にも出演していたのですか。さすがにこの監督の名前は知っていてもほとんど見ていません。「わが青春に悔なし」「ひめゆりの塔」ぐらいですかね「悪魔の手毬唄」「静かな生活」は封切り時に見ていますが、ほとんどおばあちゃんというイメージでしか見ていませんが、本当に日本のおばあちゃんとして有名な方でしたね。
残念ですが96歳でしたらまあ十分でしょう。ホント私もこういう風に歳を重ねて行きたいですね。(皆さん行かせて下さい、お願いしますよ。)
「静かな生活」ね、私の好きな「大江健三郎」原作ですし義弟の「伊丹十三」が監督したという事で見に行きましたが、両親の渡航中に起こる障害者の兄と妹の、波乱に富んだ日常を描いたドラマで「伊丹十三」の佳作とかいう感じでしたね。その監督も二年後に突然亡くなってしまうのだが。まあ、そんな話は次の機会においといて「誕生日である8月6日に広島に原爆が落とされた。原さんは8月6日を戦争を忘れない日として、家族全員ですいとんを食べる「すいとんの日」を60年間続けた。」というのは、すごくいいですね。見習うべき事だと思います。
その日を特別な忘れられない日として何かすべきですね。

日本のおばあちゃんを失ったのは残念ですが、さすがに96歳ですので「お疲れ様、どうぞごゆっくりお休み下さい」と言いたいです。
合掌。

by e_jovanni | 2005-12-08 23:20 | 人間として

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