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「平和宣言」 in 長崎   

Excite 核廃絶へ「再出発」 被爆61年式典で長崎市長

「恒久平和の実現に向けて努力する」などと詭弁を弄する方には困ったものですが、核廃絶が一向に進まない現実の中で、もう61年の原爆の日が段々風化して行くのを憂えてしまう。
今日の平和宣言、広島とはまた違った意味で重要だと思われます。

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今から59年前の昭和20年(1945)、アメリカ軍は8月6日の広島に続いて9日の午前11時2分に長崎に原爆を投下しました。広島の原爆はリトルボーイと呼ばれていましたが、長崎の原爆はファットマンと呼ばれました。また広島の原爆はウラン爆弾でしたが、長崎はプルトニウム爆弾で、広島より強力で、TNT21000トン分の威力とされます。しかし平地の広島に比べて谷間の長崎は、地形が原爆の被害の拡大を防ぎました。ちなみに、広島に原爆を投下した飛行機はエノラ・ゲイですが、長崎はボックス・カーというB29です。
8月9日午前2時56分(現地時間)にボックス・カーは13名の乗員を乗せテニアン島を出発し、先発した気象観測機から第一目標の小倉は快晴が期待できるとの報告を得て、予定通り小倉に原爆を投下することとしました。しかし、小倉上空には全夜の八幡攻撃で発生した大量の煙が流れ込んで目標を視認できなかったため、急遽第二目標の長崎に変更しました。
長崎でも市の中心部には投下できず、少し北部の浦上地区、松山町上空9600mから投下。高度500mで炸裂した原爆はわずか0.2秒後には半径200mもの火球を作ります。この火球の表面温度は太陽の表面温度並の8000度にも達していました。
長崎では市域の36%が破壊され、死者は73884名、重軽傷者74909名に上りました。そして、翌8月10日にアメリカ機から1日遅れの警告ビラが廃墟となった長崎にまかれました・・・






長崎「平和宣言」全文(長崎市HPより)
「人間は、いったい何をしているのか」

 被爆から61年目を迎えた今、ここ長崎では怒りといらだちの声が渦巻いています。
 1945年8月9日11時2分、長崎は一発の原子爆弾で壊滅し、一瞬にして、7万4千人の人々が亡くなり、7万5千人が傷つきました。人々は、強烈な熱線に焼かれ、凄まじい爆風で吹き飛ばされ、恐るべき放射線を身体に浴び、現在も多くの被爆者が後障害に苦しんでいます。生活や夢を奪われた方々の無念の叫びを、忘れることはできません。
 しかし、未だに世界には、人類を滅亡させる約3万発もの核兵器が存在しています。
 10年前、国際司法裁判所は、核兵器による威嚇と使用は一般的に国際法に違反するとして、国際社会に核廃絶の努力を強く促しました。
 6年前、国連において、核保有国は核の拡散を防ぐだけではなく、核兵器そのものの廃絶を明確に約束しました。
 核兵器は、無差別に多数の人間を殺りくする兵器であり、その廃絶は人間が絶対に実現すべき課題です。
 昨年、189か国が加盟する核不拡散条約の再検討会議が、成果もなく閉幕し、その後も進展はありません。
 核保有国は、核軍縮に真摯に取り組もうとせず、中でも米国は、インドの核兵器開発を黙認して、原子力技術の協力体制を築きつつあります。一方で、核兵器保有を宣言した北朝鮮は、我が国をはじめ世界の平和と安全を脅かしています。また、すでに保有しているパキスタンや、事実上の保有国と言われているイスラエルや、イランの核開発疑惑など、世界の核不拡散体制は崩壊の危機に直面しています。
 核兵器の威力に頼ろうとする国々は、今こそ、被爆者をはじめ、平和を願う人々の声に謙虚に耳を傾け、核兵器の全廃に向けて、核軍縮と核不拡散に誠実に取り組むべきです。
 また、核兵器は科学者の協力なしには開発できません。科学者は、自分の国のためだけではなく、人類全体の運命と自らの責任を自覚して、核兵器の開発を拒むべきです。
 繰り返して日本政府に訴えます。被爆国の政府として、再び悲惨な戦争が起こることのないよう、歴史の反省のうえにたって、憲法の平和理念を守り、非核三原則の法制化と北東アジアの非核兵器地帯化に取り組んでください。さらに、高齢化が進む国内外の被爆者の援護の充実を求めます。
 61年もの間、被爆者は自らの悲惨な体験を語り伝えてきました。ケロイドが残る皮膚をあえて隠すことなく、思い出したくない悲惨な体験を語り続ける被爆者の姿は、平和を求める取り組みの原点です。その声は世界に広がり、長崎を最後の被爆地にしようとする活動は、人々の深い共感を呼んでいます。
 本年10月、第3回「核兵器廃絶−地球市民集会ナガサキ」が開催されます。過去と未来をつなぐ平和の担い手として、世代と国境を超えて、共に語り合おうではありませんか。しっかりと手を結び、さらに力強い核兵器廃絶と平和のネットワークを、ここ長崎から世界に広げていきましょう。
 被爆者の願いを受け継ぐ人々の共感と連帯が、より大きな力となり、必ずや核兵器のない平和な世界を実現させるものと確信しています。
 最後に、無念の思いを抱いて亡くなられた方々の御霊の平安を祈り、この2006年を再出発の年とすることを決意し、恒久平和の実現に力を尽くすことを宣言します。



本当に人間は何をしているのか、残された時間は少ないと思うのですが。

by e_jovanni | 2006-08-10 01:00 | Peace

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