公文書まで残っていたとは。   

Excite <ハンセン病>断種・堕胎手術記した3種類の公文書5通発見

公文書まで残っていたとは。
当然、公文書が作成されているでしょうが、そのまま残っていたのでしたら他にもまだまだ出て来るんじゃないですか。
国家の政策としてこういう事が行われた。
治療薬が戦後出て来ても、政策を変えようとしなかった。更にはその状態を長い間変えずに偏見に溢れた隔離政策が続けられた。結局は国としてそういう政策であったから断種・堕胎手術まで行われ、数多の命を断って来た。

これじゃ江戸時代の頃と変わらないでしょう。
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これは江戸時代のお遍路さん....ハンセン病患者の親子のお遍路さんです。
社会から疎外されて流れ流れてお遍路さんに。
お遍路さんの悲しい歴史です。





 国立ハンセン病療養所で入所者に対し、断種・堕胎手術が行われたことを記した3種類の公文書計5通が見つかった。富山国際大学の藤野豊助教授(日本近現代史)が療養所の書庫や公文書館で探し出した。元入所者らの証言などからこうした措置は戦前から行われ、医学的に不必要な堕胎手術は7000件以上あったとされるが、行政や療養所の関与の実態を伝える公文書の発見は初めて。中絶と断種を約束した患者同士の婚姻届や、妊娠9カ月での堕胎の可能性を示す記述のある文書などで、藤野助教授は「療養所内の人権侵害を裏付ける貴重な資料。埋もれている公文書は他にもあるはずだ」と話している。
 見つかった公文書は、▽1952年2月、邑久光明園(岡山県)に提出された入所者同士の「婚姻届」▽54年6月、光明園に隔離された女性患者の入所に関する京都府の行政文書▽63年4〜5月、民間の身延深敬園(山梨県、92年閉鎖)に隔離された女性患者に関する神奈川県の行政文書。光明園の書庫や神奈川県立公文書館(横浜市)に残されていた。
 婚姻届は療養所内部で出されたもので、結婚する入所者2人の署名入りで女性の妊娠中絶と男性の「優生手術」を同時にすると明言した添付文書があり、断種と堕胎が結婚の条件だったことをうかがわせる内容。
 神奈川県の文書は3通。妊娠9カ月の女性患者について「去る4月10日出産した」との記載がある一方で、別の文書には「4月10日に(国立療養所の)多磨全生園にて妊娠中絶」とあり、堕胎手術を受けた可能性があるという。
 ハンセン病患者への断種・堕胎手術は戦前から行われ、国は48年「優生学の見地から不良な子孫の出生を防止し、母体を保護する」との名目で優生保護法を施行して合法化した。こうした措置は、同法が96年に母体保護法に改正されるまで続いたとされる。
 「らい予防法」廃止運動や国の強制隔離政策は違憲として損害賠償を求めたハンセン病国賠訴訟(01年の熊本地裁・原告勝訴が確定)などをきっかけに、療養所外でも実態が知られるようになったが、公文書が見つかることはこれまでなかった。

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by e_jovanni | 2006-07-29 01:00 | 人間として

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