教材になるのかな   

Excite エキサイト : 社会ニュース 被爆少年の弁当再現 平和学習の教材に

方法としては良いと思うが、これが平和学習の教材にホントになるのかどうか疑問です。
その当時の食生活の懐古の様な気がしてしまうんですがどうでしょうか。
せめて、希望者全員がこの弁当を持って疑似体験する事が出来ればと思います。
出来ればこの当時の鉄製の弁当箱と水筒で体験出来ればと思う。


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原爆資料館の説明より
被爆したところ 中島新町(現在の中島町)
爆心地から約600メートル  折免(おりめん) シゲコ 寄贈
 県立広島第二中学校1年4学級の折免滋(おりめんしげる)くん(当時13歳)は、中島新町の建物疎開作業現場で被爆しました。
 母親のシゲコさんは、破壊された街を必死で捜索しましたが、なかなか発見できず、知人からの情報でようやく8月9日早朝、滋くんの遺体と、遺体に抱えられた真っ黒に焼けたお弁当箱と水筒を発見しました。
 滋くんは、出征中の父と兄に代わって、シゲコさんのために山や竹やぶを開こんして畑を作っていました。その日のお弁当の中身は、その畑から初めて収穫した作物でつくったおかずで、喜んで持っていったものでした。シゲコさんは、それを食べることなく死んでしまった滋くんが不憫でなりませんでした。

滋(しげる)くんの弁当
 資料館に展示されている滋くんの弁当箱。中身は炭化して真っ黒になっていますが、母親のシゲコさんによれば、8月6日の弁当は次のような内容でした。
●米、麦、大豆をまぜて炊いた混ぜごはん
●ジャガイモと千切りダイコンの油いため


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現在、「父と暮らせば」のDVDを見て更に原作を読もうとしている。
順次感想を書いていきたいと考えています。






 広島原爆資料館(同市中区)の展示の一つで、原爆で死亡した折免滋君=当時(13)=が持っていた弁当を、同市内のホテルと資料館の売店が再現した。予約販売しており「修学旅行生の平和学習の教材にしてほしい」と呼び掛けている。
 滋君は1945年8月6日、爆心地から約600メートルの地点で被爆。3日後に母親のシゲコさんが、黒焦げになった弁当を抱きかかえて死亡しているのを見つけた。
 資料館が「食事体験を通じて滋君の気持ちを理解する教材として弁当を作れないか」と提案。昨年11月から「ホテル法華クラブ広島」(中区)で50食以上、今年3月から同館の売店「アオギリ」で30食以上の予約で、食べることができるようになった。
 どちらも資料館のレシピに従い、大豆と麦の混ぜご飯、切り干し大根とジャガイモの油いためが入っている。

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by e_jovanni | 2006-05-21 22:37 | Peace

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