まだまだ早い!!   

Excite エキサイト : 社会ニュース 田村高広さんが死去 阪妻の長男、貴重な演技派

名脇役の田村高広さんが亡くなられた。
まだまだ早いですよ。脇役でありながら存在感のある方でした。
阪東妻三郎の長男で大学卒業後、いったんサラリーマン生活を送るが1953年7月7日に父が急逝。その際、近親者や木下恵介監督などから後を継ぐよう強くすすめられたため、父が死去した際に在籍していた松竹に入社し映画『女の園』でデビュー。


『二十四の瞳』の演技がすごく印象に残っています。

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戦後、中年になった先生は、また分教場に戻り教鞭を取る。教え子の中にはかつての教え子の子供もいた。その名前を読み上げるだけで泣いてしまう先生を子供たちは「泣きミソ先生」と呼ぶ。
そんな時、かつての教え子たちの同窓会が開かれる。その席で、戦争で失明した磯吉(田村高広)は一年生のときの記念写真を指差しながら、全員の位置を示す。


最後の方でしか出て来ませんが、この演技にはさすがと頷けました。
(随分後に見たものですから若い時の田村高広さんに感心したものです)
まだまだ渋い演技が見られると思っていたのに残念です。
代表作と言える「泥の河」、これも見直してみないと。

合掌。







 映画やNHK大河ドラマで演技派として活躍した俳優の田村高広さんが18日までに死去した。77歳。京都市出身。自宅は東京都世田谷区三宿2ノ17ノ2。通夜は近親者らで済ませた。葬儀・告別式の日取りは遺族の希望で公表していない。
 昭和初期から戦後にかけ「バンツマ」の名で愛された名優、阪東妻三郎の長男。弟の正和さん、亮さんも俳優として知られている。
 同志社大を卒業後、会社員になったが、1953年に父親が急死。周囲のすすめで同年、松竹に入社した。翌年、木下恵介監督「二十四の瞳」で教え子役を好演し、豪放さが売り物だった父親とは異なる二枚目路線を歩んだ。

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by e_jovanni | 2006-05-18 22:17 | 人間として

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