それからのベトナム   

今日はアカイアカイアサヒに出ていた記事から。
「ベトナムのBob Dylan」
Bob Dylanに関しては以前に書いたがベトナムにこんな人がいたとは全く知らなかった。


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チン・コン・ソン(Trinh Cong Son)
サイゴン(ホーチミン市)に住み、解放前のたたかい、解放後の社会主義化、ドイモイと、ベトナムを見つめ、ベトナムを歌ってきた国民的シンガーソングライター、チン・コン・ソン(1939−2001)。
ベトナム戦争当時にこんな人が存在したとは、認識を新たにしました。

次の歌が日本に紹介されて「坊や大きくならないで」としてヒットしたんですね。
お眠り坊や(Ngu di con)

お眠り坊や
黄色い肌の私の坊や
私はお前をあやし
傷口を赤く染めた銃弾をあやすの
20年たって
子どもたちは軍隊にとられ
行ったきり戻っては来ない
黄色い肌の私の子
お眠り坊や
あやすのはもう2度目
ああ、この体も昔はあんなに小さかった
胸に抱いたり腕に抱えたりしたのに
ああ
お眠り坊や
お眠り坊や
私がお腹を痛めた子の
唇から苦しみの声が聞こえるよう
20年たって
子供たちが大人になると
戦場へと出て行った
黄色い肌をしたこの大地の子
お眠り坊や
今は風塵になってしまった子よ
ああ、どんな傷がその熱い肌を
深くえぐってしまったのだろう
この骨と肉を私は苦労して育て上げたのに
なぜ20歳で眠ってしまうの

(訳:吉井美知子 補訳:鈴木康央)



考えてみると怖い歌です。決して昔の歌では済まない今でも世界中で起きている悲劇かも知れない。ベトナムが負ったキズがいかに深く無惨なものであったかを思い知らされる。

 チン・コン・ソンの反戦歌は決してダイレクトに「戦争をやめろ!」と叫ぶようなものではない。物語のようにその当時の現実を歌い上げ、そのことで戦争の無意味さを訴えているのである。特に彼の作品では、ベトナム人同士、同胞同士の無益かつ無惨な戦争を嘆いている。「黄色い肌」「薄い黄色の花」というのは、アジア人のことであり、つまりはベトナム人のことなのだ。これらの反戦歌は、無益な戦争を嘆く彼の心の叫びの発露であったと言ってもよいかも知れない。
現在も彼の歌は歌い継がれているが、ただそれはこのような反戦歌ではなく恋愛の歌だそうで、やはりあのベトナムでも戦争の傷跡が多く残っていても時代は変わって行っているということなんでしょう。





彼の略歴
1958 サイゴン大学在学中に創作開始。最初の作「まつげを濡らして Uot mi」。60年代前半に有名シンガーソングライターとなる
1960 ベトナム南部開放民族戦線結成
1965〜73 米軍、北爆と南ベトナムへの地上軍派兵など直接介入(ベトナム戦争)
1967〜 ハノイ出身の女性歌手カイン・リー(Khanh Ly 1945〜 )と組んで不動の名声(「美しい昔 Diem xua」、「白い夏 Ha trang」など)。反戦歌も次々作曲(62年2月、毎日放送TVが「お眠り坊や Ngu di con」を紹介、訳詞「坊や大きくならないで」が複数の歌手によってヒット)
1970 大阪万博にカイン・リーが出演、「美しい昔」他の日本語レコードも発売(78年に近藤紘一原作のNHKドラマ「サイゴンから来た妻と娘」の主題歌として「美しい昔」が流される
1972 南ベトナム政権の締め付けで作品を出版できなくなる(渡日もできず)
1975 南部完全解放。カイン・リーはボートピープルとして解放前日アメリカへ脱出。チン・コン・ソンは再教育キャンプに送られ、75年以前の作品は禁止される
1980 ソ連(当時)訪問。このころから活発な作曲活動を再開。映画「無人の野」(80年)、「河の女」(87年)等の音楽を担当



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日本でヒットした
「坊や大きくならないで」

坊や静かにおやすみ 私の坊や
来る日も来る日も いくさが続く
坊や大きくならないで
そっと眠りなさい
お前が大きくなると いくさに行くの
いつかはきっと 血に染まるだろう
坊や大きくならないで
そっと眠りなさい
青空とびかう鳥よ お前は自由
いつかは坊や 平和が来るわ
坊や大きくならないで
そっと眠りなさい
坊や大きくならないで
そっと眠りなさい
眠りなさい 眠りなさい

浅川しげる 作詞
トリン・コン・ソン 作曲


やっぱり随分違うなあ。元の詩は怖いなあ。
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by e_jovanni | 2006-05-16 22:45 | 人間として

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