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また一人監督が逝く。   

Excite 8月に新作公開控え…映画監督黒木和雄さん死去

また一人、日本の映画監督が逝ってしまった。
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『日本の悪霊』(1970年)、『竜馬暗殺』(1974年)、『祭りの準備』(1975年)
この頃のATG系の映画はよく観にいったものだが、あの監督も居なくなってしまったのか。
最近の作品は見てないのだが、是非見てみたい。
特に戦争三部作と言われている作品群を。
合掌。










『美しい夏キリシマ』に寄せた監督のメッセージ。
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『美しい夏キリシマ』は戦争をえがいた映画です。
 しかし、殺し殺される凄惨な戦場が舞台ではありません。敗戦間近な南九州の片田舎の物語です。私は15歳の少年でした。そこでも人々は悲しみ、笑い、苦しみ、愛しあって懸命に生きていました。半世紀たって、忘却の闇にともすれば埋もれてしまう私自身の記憶を、渾身こめてよみがえらせ、この映画をとおしてあの時代の哀歓と悲傷をなんとか伝えたいと思いました。
 この映画を戦争の足音が間近に聞こえてくるような日々のなか、あかるい未来を望む観客の皆様の魂のみぎわにまでお届けできればと切に願っています。


『父と暮らせば』(2004年)
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盛夏の広島。昭和20年8月6日午前8時15分。突如頭上に炸裂した一発の閃光が人々の運命を襲った。広島を「ヒロシマ」に変え、父と娘の未来を変えた。人類史上初の原爆が投下されてから3年後の広島。図書館に勤める美津江は、愛する者たちを一瞬の閃光で失い、自分が生き残ったことへの負い目に苦しみながら、息を殺すようにひっそり暮らしている。その彼女の前に、ある日ひとりの青年が現れた。原爆の資料集めに情熱を注ぐ木下青年に好意を示され、美津江も一目で彼に魅かれていく。「うちはしあわせになってはいけんのじゃ。」自分は人を好きになったりしてはいけない。

幸せなど望んでいない・・・。美津江はそんな恋心を押さえつけ、黙殺しようと必死である。美津江が恋に目覚めたとき、父・竹造の幽霊が現れる。頑なに恋心を否定し、幸せの一歩手前で躊躇する美津江に、父の竹造は自ら「恋の応援団長」を名乗る。なだめ、すかし、励まし、ありとあらゆる方法で何とか娘・美津江の心を開かせようとするのだが・・・。




「キューバの恋人」
黒木和雄監督の劇映画第2作。当時第三世界革命の支柱と言われていた社会主義国キューバを舞台に、ノンポリの日本人船員と女性革命兵士が織りなすラブロマンス。大学闘争中の日本に波紋を投げかけた。
あらすじ
1968年当時、キューバは日本の青年子女にとって幻の革命の聖地であり、革命から10周年を迎えようとしていた。キューバにおいてチェ・ゲバラの思想は深く浸透し、英雄とされていた。
日本の青年船員アキラはハバナに寄港し休暇を取る。アキラは現地の女性マルシアを見染める。しかし彼女は若き革命家でもあった。
中南米にゲリラとして旅立とうとする彼女を執拗に追うアキラ。
革命の熱気溢れるキューバを舞台に描くラブ・ストーリー。

この時代の映画も是非見直してみたいものです。



------記事内容-------
 映画「TOMORROW/明日」や「父と暮せば」など戦争三部作で知られる映画監督、黒木和雄(くろき・かずお)さんが12日午後3時43分、脳梗塞で入院先の都内の病院で死去した。75歳。葬儀・告別式の日取りなどは未定。宮崎市出身。
 黒木さんは同志社大卒業後、1954年に岩波映画に入社。記録映画を手掛けた後、フリーに。70年代に「竜馬暗殺」「祭りの準備」で高い評価を得た。

 原爆投下前日の長崎市民を描いた「TOMORROW−」で芸術選奨文部大臣賞などを受賞。終戦間近の鹿児島を舞台にした原田知世主演の新作「紙谷悦子の青春」(8月12日公開)が遺作となった。

by e_jovanni | 2006-04-13 23:14 | 映画

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