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人間の仕事 その2「一生懸命生きる」   

今日は、細木数子の番組を見てしまったが言っている事は至極まともで当を得ているのだが、あの人の裕福ぶりを見るにつけ、どうもウソっぽく見えてきてしょうがないのですが。

今日も続けたいと思います。
こういう話題はどうも避けられているのかな、あまり読まれていない様に思える。


田中一村の旧居
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「一生懸命生きる」


 それならば人間の仕事ということを取り立てて意識せずに一生懸命生きればいいということになります、それはそれでその通りだと思いますが、そういうことを意識して私たちが仕事ということを考えてみなければならないと僕が思うようになったのは、その事を意識するか、しないかによって私自身の今、生きている、今、やっていることが違った意味を持って見いだされることに気づいたからです。人間の仕事をしているという自覚を持って私が日々の生活を送って行くことによって、私の毎日の日常が違ったものになるからです。人間の仕事という意識を持って生きようが、意識を持っていない状態で生きていようが、伝えられるものはあまり変わりようがないかも知れませんが、その事を意識して生きている自分にとっては、自分の人生を全く違ったものにするということです。


人間の仕事 その2「一生懸命生きる」_d0040314_2142384.jpg それは伝えるということの仕事と同時に、逆に私たちは今、生きていることにおいて、すでに死んだ人達からの引き継がなければならないという仕事をしているからですよね。私たちは伝えることにおいては、ある意味で生まれてきた時、死ぬという運命を背負って、死ぬことにおいて自分が生きたことを伝えることは出来るかも知れませんが、私たちが生きている時間はそれだけではない。生まれてきたこと、生きていることにおいて、自分が生まれてくる前に生きてきた人達の人生を受け取らなければならないという仕事が、同時にあるからです。その仕事を片方でしながら生きていく時に、自分自身の人生が本当の意味で人間として生まれてきた意味を持ったものに変わると僕は思います。


 皆さんもそうです。一生懸命生きて、一生懸命迷って、苦しむことは今は辛いかも知れませんが、死ぬときには次の世代に引き継ぐもの、閻魔様の前に持って行くものになっていくでしょうし、どのような人生を送られても、死ぬときにおいて差があるとは思いませんが、ただ自分が生まれてきた、生きてきたことにおいて、今、生きていることを意味づけるものとしては、自分に先立ったものの人生を引き継いでいくという仕事を意識しなければ、その人生はこの生きている人生の時間が虚しいものになってしまう。時間を過ごしていることの虚しさの根源に触れるようなものかも知れませんが、時間を生きることは虚しいことです。


 私が死んで、あなた達が亡くなった後に人生を引き継いでいく、未来に渡していくのだということは話としては出来ますが、実際にそうなったかどうかは確かめる術がない。人間は悲しいけれども、聞いても本当にそうかどうかは確かめてみないと分からない。死んでみないと、そんなことは分からんわけです。死んでみないと分からんことを当てにして生きていくほど、人間はそれほどに素直ではないんですね。人間は素直ではない、ものを考えたり、自分自身のはからいを持って、色んな事をみていくことによって、死んだ時にそういうことがあると言っても、その事を頼りにして生きていけるほど素直な存在ではないわけです。素直な存在ではない私たちが、自分が死んで引き継いでいくことを意識しながら生きていくためには大変な努力がいる。それはいつもいつも死ぬことを思い描きながら、死んだ時に、自分は何であろうかということを考えながら生きていかなければならない。そういう大変な仕事です。それを私たちは、毎日意識しながら生きていくということには耐えられない。時にはそういうことを忘れて、今という時間を一生懸命生きたいと思うのが私たちでありますし、死ぬことを考えながら今を考えていけるほど、人間の精神は素直でも、強さも持っていないということです。


人間の仕事 その2「一生懸命生きる」_d0040314_2149269.jpg その時に自分自身の死を通して、人間の仕事ということを考えていくことでは人間は満たされない。そこに残されていく虚しさを超えていくものは何か。自分より先になくなった人達の残していったものをいかに私たちは引き継ぐかという、残されたものを渡すということは、残されたものを私たちは受け取っている、受け取ったものを確認していくという、もう一つの仕事に気づかなければ、自分自身の人生の虚しさを埋めることは出来ない。死んだ人の思いを引き受ける以外に、人間は人間としての仕事を成し遂げる事は出来ないということです。あなたたちも今元気におられますが、様々な形で先になくなった人達はいたということは事実です。同じ年代であっても病気で先に死んでいった人、身内に亡くなられた方がいなくても、一緒にいて事故で亡くなる人、そういう人も含めて自分が生き残っていることは、それと同時に一緒に生きてきた人達が、その時間の中で次々と死んでいった歴史を背負いながら私は今、生きているということを、死んでいった人達の思いを引き継ぐことによって、私たちは人間としての仕事として引き受けることによって、自分の人生を虚しいものではないというものに変えることが出来る。



 それは不思議なことです。皆さんは幸せな人生、充実した人生、自分のしたいこと、自分の夢を実現すること、自分の能力を伸ばすことが自分の人生を豊かにして自分の人生を実のあるものにすると聞いて来られたかも知れませんが、人間は自分のしたいことをしても、自分の能力を発揮しても何も得るものはないんですね。その時の喜びがあっても、それはその時で終わりです。人間は自分のために生きているのではないんですよ。若くても歳を取っていても皆、同じ事でしょうが、人間の仕事という時、人間ということと、自分ということの区別をして、自分は自分のために生きているかも知れませんが、自分という存在は人間であることであって、自分のために生きているわけではない。人のために生きているということが人間ということです。


 若い人は自分の愛する人のために生きていると言えるかもしれない。人のためにと言っても愛する人のためにと思っている。愛することの根源を見ていくと、愛するということはそこにいる人を認めるということです。そこにいる人のために生きている。横にいる人のために生きてはいかれんもんです。横にいる人は一緒に生きている時間を同じくしている人ですが、その人のために生きているというものではない。たとえ仲が良くても本当に愛する人がいても、その人のために自分の命を犠牲にしても、その人のためにならんのです。



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その3....「自分のため、人のため」に続く

by e_jovanni | 2006-01-08 21:53 | 人間の仕事

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