楽天の三木谷さんって何?   

Excite エキサイト : スポーツニュース
三木谷氏 楽天か横浜売却も

d0040314_1623551.jpg
ホリエモンの方がマシだった様に思えてきた。
またまた、ファン無視の球界再編劇が始まるのか?
近鉄ファンとしては、バッファローズの元メンバーがいる楽天とオリックスが何となく気になって仕方がない。
もうこうなったら生涯バッファローズのファンとして通してしまうか。

私がパリーグと出会ったのは西宮球場へ、たまたま観戦に行って
その阪急ブレーブスの野球に魅了されてしまってからです。




当時のブレーブスはとにかく強かった。
山田久志、福本豊、長池徳士、山口高志、今井雄太郎、足立光宏、
米田哲也、蓑田浩二、マルカーノ、ウィリアムス、・・・。d0040314_169203.jpg
名前を挙げればきりがない。
まあ昔、バルボンのサインをもらった記憶が有るぐらい古くから知ってましたが。

そのプレーにも魅了されたが、とにかくゆったり見られるのが良かった。セリーグだったらゆっくり観戦出来なかったし、まわりの応援もすごかったしゆったりとした時が西宮には流れていた。
すっかりブレーブスに魅了されて暇さえあれば安いチケット(ダフ屋が安く売ってくれる)でネット裏でプロ野球を満喫していた。
「世に倦む日日」にも書かれていたが広島カープとの日本シリーズを
見に行ったときの山口高志のすごさ....そのシーズンずっと見てまし
たのでシリーズ前からブレーブスが勝つ事を確信していました。
シリーズの時は彼が出番の時はちょうど夕暮れ時、薄暮の状態でし
たのでホーム上がちょうど二階席の陰になり、マウンド上がまだ日が
当たっていたので余計にバッターにとっては見づらかったのだと
思います。とにかくバッタバッタと三振の山...あれほど見ていて爽快
な気分は二度となかった様に思います。

「世に倦む日日」から転載します。
--------------------------------------------------------------------
忘れられない印象深いシーンが二つある。一つは広島カープがセ連盟で
初優勝した75年の日本選手権で、豪腕の山口高志がリリーフでマウンド
に立つと、衣笠幸雄も山本浩二もクルクルと三振の山を築いて、ほとん
どバットに球を掠ることもなしに押さえ込まれた。文字どおり捻じ伏せら
れた。山口高志が投げる高めの剛速球に手を出して、どの打者も同じ
ように空振りさせられていた。全く打てなかった。そういう試合が三つか
四つ続いて、阪急ブレーブスが簡単に四連勝(一分)して日本一に
なった。プロ野球で投手と打者の力の差があれだけ極端に開いている
対決を見たのは初めてで、とても日本シリーズの試合を見ている感じが
せず、解説者も「何で何度も同じボールを振るんだ」と憤っていたことを
思い出す。当時はスピードガンが無く、山口高志のストレートの球速に
ついては記憶がない。高めのスピードボールで空振りさせるピッチング
は、その後、江川卓や小松辰雄にも楽しませてもらったが、山口高志
ほど強烈な印象を覚えたものは他にない。
--------------------------------------------------------------------
d0040314_1691839.jpg

これ読んでると似たような世代の方ではないですかね。
私の場合は西宮球場の近くにその当時住んでいたので阪急ブレーブスのファンになり、更に近鉄バッファローズを見てバッファローズのファンになっていったんですが。その強烈な印象からパリーグこそが本当のプロ野球なんだと思って応援してたのですが、無くなってしまうと寂しいものです。
もういい加減にしてほしいです。

-----------阪急ブレーブスの歴史(抜粋)------------------------------
1967年、西本幸雄監督の下で長池徳士、ダリル・スペンサー、
       足立光宏らが活躍、リーグ初優勝。
1972年、ユニフォームを赤・白・黒の配色に変更。デザインは
       1984年に変更されたものの、チームのカラーは
       オリックスに身売りするまで変更されることはなかった。
1975年、2シーズン制で、阪急は前期優勝、後期最下位という
    成績。プレーオフで近鉄バファローズを3勝1敗で下した
    ものの通年成績は64勝59敗7分、勝率.520で史上最低
    勝率でのリーグ優勝となった(それまでは1973年読売
    ジャイアンツ<通称・巨人>の66勝60敗4分、勝率.524
    が最低記録)。 しかし同年の日本シリーズに出場し上田
    利治監督の下、山口高志、山田久志、加藤英司、ボビー・
    マルカーノ、バーニー・ウィリアムス、そして福本豊らの活躍
    で初の日本一に輝き、1977年まで3年連続日本一、
    1978年まで4年連続リーグ優勝を達成。球団の黄金期となる。
1980年 アンダーシャツが赤に変更され1988年まで9年間使用される。
1981年、日本初となる球団マスコットキャラクターの「ブレービー」(
    中に入ったのは元選手の島野修)が登場。ファンサービスに
    努めたが、観客動員は伸び悩み、チームの強豪振りとは裏腹に、
    球団経営は悪化の一途を辿った。
1984年、ブーマー・ウェルズが打率.355、本塁打37、打点130の
     成績で外国人選手として初の三冠王に輝く。チームも75勝
    45敗10分で2位ロッテオリオンズ に8.5ゲーム差を付けて
    優勝したが、これが「阪急」としての最後の優勝となった。
1988年、シーズンオフに阪急電鉄がオリエント・リースに球団を
     譲渡し、黄金期を支えた阪急の顔・福本、山田らが引退した。
     チーム名はオリックス・ブレーブスに改称。
     ネイビーブルー(オリックスブルー)と黄色(ブレーブス
     ゴールデンイエロー)のユニフォームとなる。「ブレーブ
     ス」のニックネームが残されたのは、阪急側から譲渡に
     際し、ブレーブスの名を継ぐことが条件であったため。
     ちなみに現在「ブレーブス」の商標権は、阪急共栄物産
     株式会社が所有している。
---------------------------------------------------------------------------
[PR]

by e_jovanni | 2005-10-14 16:02 | パリーグ

<< おめでとう ロッテ 優勝!! ビデオ対応の「iPod」&Ne... >>